ITC-J COUNCILNo.2
カウンスルNo.2の歴史
ITCの前身である インターナショナル トーストミストレスクラブは、女性が世に出ていく時代を予見したアーネスティン・ホワイト女史(1904~1943)の指導の下、1938年にサンフランシスコで設立されました。
日本では、1949年に名古屋クラブが最初に生まれ、その17年後に阪神クラブ、その6年後に神戸クラブが誕生しましたが、日本では名古屋クラブが出来てから30年近く、3クラブのみでした。
1973年にカウンスルNo.1が設立されました。1981年に、それまで一つだったカウンスルが No.1 No.2 No.3の3つのカウンスルに分割され、カウンスルNo.2は5つのクラブ(阪神、神戸、東神戸(現在のイースト神戸)、九州、鳥取)で、日英のバイリンガルカウンスルとして発足しました。当時カウンスルNo.2の会合は大勢の外国人会員がいて、神戸外国クラブで国際色豊かに開催されていました。
1982年に日本リージョンが発足し、同年に甲南クラブが設立されました。カウンスル第2期で、ニューズレター第1号が発行されました。
1985年インターナショナル トーストミストレスクラブは、International Training in Communication(ITC)となりました。カウンスルNo.2の最盛期は、第7期頃で、阪神、神戸、イースト神戸、九州、鳥取、甲南、奈良、ひろしま、六甲、米子、福山、岡山、松江、城北、宝塚、安芸、倉吉の17クラブが所属していました。この時期はITCの増設活動も盛んで、クラブ数が増えたため、1988年に全部で7つのカウンスルに分割されました。2年後カウンスルNo.1もNo.8と二つに分割され、日本リージョンは、現在のように8カウンスルとなりました。
1988年カウンスルNo2.は阪神、神戸、イースト神戸、甲南、六甲、宝塚の6クラブで発足しましたが、その後、御影、三田、松山(2010年解散)、愛媛(2015年解散)が加わりました。
発足以来バイリンガルで会合を行ってきましたが、外国人も少なくなり、2003年第23期から日本語のみで行っています。
日本で名古屋クラブに次ぐ歴史の古い阪神、神戸クラブを擁するカウンスルNo.2は、当初から今に至るまで国際役員や大勢のリージョン会長を輩出し、大勢の会員が各レベルの役員や委員長として活躍しています。
2017年7月31日ITC国際が解散し、日本は2018年1月1日より「ITC-J」の名称で再出発しました。
2018年8月1日より、京都クラブがNo.2に移籍され、9クラブでスタートしましたが、2022年宝塚クラブが解散し、42期より8クラブとなりました。


歴代会長と年間テーマ 所属クラブの変遷
柳川公子さん(甲南)作成の「No.2の歴史」参考